中之庄遺跡(なかのしょういせき)―古代集落の人々に思いを馳せて

By Akiko

古墳が大好きで、天気の良い日はお隣さんの奈良県明日香村の有名どころ(石舞台古墳、キトラ古墳、高松塚古墳等)に足を運ぶ。が、今日は近場で住居跡を訪ねてみようか。

宇陀市中之庄遺跡は人々が住んでいた集落の跡地。弥生時代、飛鳥時代、中・近世の3時期にわたる遺構が見つかったというから、古代からよほど住みやすい土地だったのか。

再現された竪穴住居:こんなに小さな入り口・・・

色々発掘されている。弥生時代のものでは土坑と方形区画墓(方形に溝をめぐらせた墓)。飛鳥時代のものでは掘立柱建物跡11棟、竪穴住居跡3棟、石敷溝、苑池状遺構など。7世紀頃の庭園には既に池があったのかと飛鳥時代の人々の豊かな創造的生活に思いを馳せる。その池には蓮の花が咲き、紅白の鯉は葉の間をゆっくりと泳いでいただろうか。池の淵から鯉に餌を撒く男とその横で優雅に団扇を仰ぐ女。実に詩的ではないか、飛鳥人たちよ(著者の妄想)。

この周辺は『日本書紀』や『万葉集』に登場する阿騎野の地に当たる。7世紀の壬申の乱や軽皇子(後の文武天皇)の狩のシーンが、まさにここ。『日本書紀』によると、611年陰暦5月5日、宇陀で薬狩りが行われた。男は鹿の角を、女は薬草を採ったそう。彼/彼女らはカラフルな衣を身に纏い、優雅な行事に興じていただろう。中之庄遺跡一帯の集落に居住した人々は、そんな古代の宮行事を真横で見ていたかもしれない。

東を顧みる柿本人麻呂の像

東(ひむがし)の野に炎(かぎろひ)の立つ見えてかへり見すれば月傾(かたぶ)きぬ

柿本人麻呂は、軽皇子と阿騎野に狩に訪れた際にこの歌を詠んだとされる。中之庄遺跡に再現された竪穴住居らに隣接する人麻呂公園。そこでまさに今「かへり見」る騎乗の柿本人麻呂が静かに東を見据える。見据えた先には野原。子らがまだ小さかった時、あそこに座ってとんがりコーンを食べたことを思い出した。

梅を眺めながらヒルトコカフェさんの美味しいランチ

そして遅咲きの梅を見ながら美味しいランチにもありつけた、暖かい初春の阿騎野の地。弥生人、飛鳥人、そして今の私たちもまたここで暮らす。

2 thoughts on “中之庄遺跡(なかのしょういせき)―古代集落の人々に思いを馳せて

  1. よう says:

    飛鳥時代の竪穴式住居が間近でみられるなんて、とても素敵なことですね!
    時空を超えた浪漫を感じます。
    機会があればぜひ訪れてみたいです。

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