by Akiko
大王(おおきみ)は神にしませば 真木(まき)の立つ荒山中(あらや まなか)に 海を成(な)すかも
(『万葉集』巻三・ 二四一)

「わが大王(長皇子)は、神でいらっしゃるから、真木(杉や桧)の立っているひとけのない荒々しい山の中でも海(猟路の池)をお造りになることよ」と万葉集に詠まれた、狩路の池 。柿本人麻呂が天武天皇第四皇子の長皇子と狩猟に訪れて詠んだと言われるこの地こそ、現在のサンクシティ前から南側に広がる、この一帯。当時は広大な湿地だったとか(「広報 うだ」2017年5月号)。
見よ、この天空の山々へと続く堂々たる一本の畦道を!柿本人麻呂を含む長皇子御一行も、鹿を追い、この路を歩いたことだろう(!)
晴れた日の開放感も半端じゃないが、曇り日の田んぼの水鏡に映る山々も、ちょっと幻想的。

荒山の中の海、というのだから、湿度の高いトロピカルな環境だったか。野草、湿林、虫、水の生き物、それらを食べに来る野鳥や鹿。狩猟には恰好の場所だったに違いない。

筆者はベトナムに住んでいた頃、農村地域を訪れる機会に恵まれたが、彼の地も湿地帯の連続。メコン川をはじめ、毎年繰り返す川の氾濫でできた豊かな土壌は生物の宝庫。そしてその豊かな食べ物を求めてその周辺に人間も住んできた。

狩路の池はここまで大きくなかっただろうから、それを「海」と詠んだ柿本人麻呂は、ちょっと誇張か。それとも、海のない奈良で、「海」に憧れていたのか。いずれにせよ、彼もこの水鏡に映る奥大和の山々を眺めただろう。
ここからは、おまけ。
湿地帯と言えば、高床式建築。世界遺産、阮朝の皇宮で有名なベトナム・フエ省郊外で高床式の公民館を発見。


村人が手に持つ瓢箪の水筒は、よく使いこなされ、光沢を放つ美しい工芸品!思わず手に取りたくなる。筆者のペットボトルの「ラ・ヴィ」より、たくさん水が入りそう。日本にも瓢箪は縄文時代には入ってきていたそう。竹と同様、水筒として使われていたそうだ。柿本人麻呂も狩猟に携帯していたかも。
以上、狩路の池=湿地帯に住む人たち=高床式建築、の連想ゲーム(!)となった。