日本一大きい磨崖仏(大野寺対岸の)

by Akiko

色鮮やかな緑に涼をとるように、崖肌から静かにこちらをご覧になっておられる。まるでそこだけ時が止まったような静けさ。と、蝉が一斉に鳴き出し、ハッと我に帰る。

全長13.8m。日本で最大の磨崖仏。その線描は800年の時を経て今なお美しい。

木陰に涼をとっておられる対岸の仏さま

空の青、目に沁み入る緑、蝉の合唱、そこに佇む仏さま。それだけでも心が洗われるが、前を流れる宇陀川の水は真夏でも冷たく、足を入れると猛暑を忘れる。妄想には格好の場。さあ、木陰に入り、800年前にこの石仏を彫った南宋の石工師、伊行末に思いを馳せてみよう。

800年の時を経てなお美しい線描

伊行末は19歳で日本に渡った。見たこともない遠方の地に、どんな不安と期待があったか。東大寺大仏再建のために俊乗坊重源が宋から招いた技術集団の一人だったとのこと。息子の伊行良は日本人と結婚して帰化し、その後も父子共に日本で石工師として大いなる貢献をされたとか。この大野寺対岸の石仏を彫った父親の方の伊行末は、日本の狛犬の原型を造った方。今も東大寺にある。それが現在日本全国にある狛犬のモデルとなったそうだから、今生きておられれば文化功労賞あたりは、というお方だ。日本に来てくれてありがとう、と言いたい。 ちなみに東大寺の狛犬の石材の一部は日本で採掘できなかったようで、宋で調達された石だと言うから、狛犬は生まれも育ちもグローバル。

さて、「伊」親子は、奈良県般若寺の寺宝である十三重石宝塔も作った。

石塔・仏塔(ストゥーパ)は、かつて仏教圏だったところを含め世界各地で見られる。3年前まで住んでいたベトナムで印象に残った「ポ・ナガール」を思い出す。日本の仏塔は中国式だが、こちらのは、インド的。それもそのはず、これはベトナム北部ではなく、中部のニャチャン州。2−19世紀、チャム族によるチャンパ王国があった。青空にそびえ立つ赤煉瓦は清々しい。こちらもオススメだ。

青空にそびえるチャンパ王国の「ポ・ナガール」仏塔

ちなみに、日本のろくろ首の説話はチャンパの伝承が中国経由で入ったとの説もあるらしいから、当時から世界はどこで繋がっているかわからない。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です