ワカタケルの泊瀬朝倉宮を探して

長谷寺の舞台から与喜山(天神山)をのぞむ。

考古学的に実在がほぼ確定している最古の天皇、第21代雄略天皇(ワカタケル)。
奈良盆地の東南、三輪山のふもとから長谷寺がある桜井市初瀬までの間に拠点をおいたとされるが、今のところまだその場所は確定されていない。
作家の池澤夏樹は古事記を下敷きにした「ワカタケル」を著したが、そこで描かれた泊瀬朝倉宮と1981-2012年に発掘作業が行われた脇本遺跡について紹介したい。

神話から実在となった最初の天皇

ワカタケルは『古事記』では大長谷若建、『日本書紀』では大泊瀬幼武と表記される。埼玉県の稲荷山古墳から出土した鉄剣の銘文中に「獲加多支鹵(ワカタケル)」とあり、これをもって考古学的に存在が確認されたとしている。

鉄剣は遠く武蔵国から大舎人として泊瀬朝倉宮に赴任し、長くワカタケルに仕えた官吏への褒賞として与えられたと考えられる。大舎人、乎獲居(オワケ)とその祖先の名と主人であるワカタケルの名を共に刻み、忠勤への感謝の意を表したものである。

『古事記』には上巻、中巻、下巻があり、16代仁徳天皇から記される下巻のうち、21代雄略天皇(ワカタケル)からは、この鉄剣の発掘により史実を元にしているのであろうと考えられている。 池澤夏樹の「ワカタケル」では、兄の安康天皇の崩御後、兄弟や従兄たちを粛正し即位した経緯から晩年までが活き活きと描かれている。

泊瀬朝倉宮の遺構と考えられる脇本遺跡

脇本遺跡とは、山麓に朝倉台という住宅地が広がる外鎌山と三輪山との谷あい、現在の国道165号線の脇本の信号付近一帯に広がる遺跡である。住宅の建替や道路の拡幅工事にあわせて1980年代から2012年の19次調査まで断続的に発掘調査がされている。

この地には弥生時代から飛鳥時代を中心とした集落遺跡がある。ワカタケルの泊瀬朝倉宮以降も6世紀に欽明天皇の行宮である泊瀬柴垣宮、7世紀に大伯皇女(おおくのひめみこ)の斎宮があったとされ、ワカタケルの時代、5世紀後半の遺構とともに6世紀後半、7世紀後半の遺構も発掘されている。 古墳時代後期、5世紀後半のものとみられる大型の柱の跡が発掘された建物2棟は泊瀬朝倉宮の一部ではないかと推定されるものの、決定的な証拠は発見されていない。

白山神社の参道と鳥居
伝承では、発掘調査が行われた場所からさらに東の白山神社付近が泊瀬朝倉宮跡とされ、伝承地として案内板が立てられている。

池澤夏樹が描いた泊瀬朝倉宮

作家の池澤夏樹は、河出書房新社の「日本文学全集」の第一巻として自ら『古事記』を現代語訳した。この経験を下敷きとして日経新聞朝刊に2018年9月から「ワカタケル」が連載された。 「ワカタケル」、2章冒頭で泊瀬朝倉宮が描写される。

初瀬の宮に戻った。

ここは要害である。

川が南北に流れ、西も東も山が迫る。西は纏向山を経て三輪山に繋がり、東には天神山がそびえる。従って東西とも山の側から攻められることはまず考えなくてもよい。

ワカタケル

先に紹介した泊瀬朝倉宮の遺跡と考えられている脇本遺跡を地図で見ると、川は東西に流れ、北と南に山が迫っている。西には大和盆地が広がり、三輪山は北にある。

池澤夏樹の描写に合致する場所は、現在の長谷寺の東側を流れる初瀬川の谷沿いとなる。

朝倉から初瀬周辺図
西に三輪山、巻向山、東に天神山に挟まれた谷。※Google マップ上で脇本遺跡周辺を表示する。

池澤夏樹は、小説家であるが詩人でもありそのほか、書評家、個人で世界文学全集、日本文学全集を編集したことでも知られる碩学である。大英博物館所蔵の気に入った品を13選び、それらがかつて作られ、安置されていた場所を訪ねる「パレオマニア」という異色の作品を著してもいる。

普天間飛行場を巡っての問題では、独自に地図と地歴を精査し、辺野古に代わる移設先として、有人の種子島から約12キロ離れ、地形が平らで、一企業が土地の大半を所有し買収が容易な馬毛島を提案している。現在は米軍基地の移転先ではないものの防衛省による自衛隊基地整備計画の候補地となっている。 稀代の碩学、地図読みの池澤が何を考えて泊瀬朝倉宮の場所をあえて脇本遺跡の場所と違えたのか。なにかしら思うところがあったに違いない。

泊瀬朝倉宮はいずこに

現在の脇本遺跡の辺りにワカタケルの泊瀬朝倉宮があったと比定されているが、確定はされていない。今後も断続的に発掘調査が行われるだろうが、ここ10年は行われておらず、あらたな証拠が発掘される可能性は低いだろう。

長谷寺からさらに奥の谷。池澤夏樹が描写したと思われる場所。
初瀬川を右手に、初瀬の谷から北をのぞむ。右手に天神山、左手の山をたどると巻向山である。

一方で、脇本遺跡から更に谷の奥にある長谷寺のあたり、初瀬の谷あいは、文字通り左右を山に挟まれ、天然の要害である。

ワカタケルは、いずこにおわしたのだろうか。

Author: えびすい / Ebisui

小6まで長谷寺の門前町(桜井市初瀬)、中高時代は当時の宇陀郡榛原町で育つ。おじさんになってから仏像、古墳、そして奈良の歴史に興味がでてきて、なんで住んでるときに行かなかったんだと後悔している現在新宿区民。 盆暮れには必ず帰省して、実家の古ぼけたダイハツミラを駆って奈良の古跡を巡る、自称奥大和通の文筆家。